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陶磁器と色彩 5

  別世界を表す金、対比としての金

        泉滋三郎. 彫刻の森編 , 雲霓. 133:3 , 1995.


 金色が使われ陶磁器で今日眼にすることが出来る作品としては伊万里の「染付金彩牡丹鶴文鉢」(Staatliche Kunstsammlungen Dresden)、「色絵荒磯文鉢」(戸栗美術館)など数多くあります。また京焼の仁清の作品には金が使われた有名な「芥子図茶壺」(出光美術館)などがあり、京焼では多用される色彩です。金色が単独で用いられることは少なく、染付や色絵との併用で使われています。青、赤、黒などの色彩とあいまって華やかな印象を見るものに与えます。金色はどんな色とも相性が良いようです。
 金色そのものへの意識について考えてみますと、金色が単なる装飾のための一色彩ではなく、特別の観念で見られていたことが分かります。金色は古くから人々にとって至上のものを表すと色彩として意識されていたようです。例えば仏像の多くが塗金され、現世浄土を具現化した金閣寺、「洛中洛外図」のようなハレの光景を象徴する色彩として使われ、仏壇に金色はつきものです。金色は極楽浄土、あの世、さらには別世界を象徴する色として意識されたのでしょう。
 さてこれらの場合でも同時に存在する色彩との組合せを指摘することが出来ます。塗金された仏像では、仏像が安置された空間、例えば暗闇としての黒、また寺院内部に施された朱や緑が金色と対比されます。金閣寺では金色の建物と周囲の緑または秋の紅葉色が対比を作り出します。また「洛中洛外図」では空間を示す金色と様々描かれた町の様子に使われた色彩が対比しています。仏壇では言うまでもなく、黒と金の対比が見られます。
 仁清の「芥子図茶壺」では金色で胴には芥子(けし)の花と実が赤や銀色などとともに描かれ、口辺部に金箔を切って散らしたように金色が使われています。花や実が単一の色彩ではなく金色が銀色や赤と用いられるのも色彩の組合せによる効果を狙っていると同時に金と銀の対、金と赤の対が込められていると思われます。また「芥子図茶壺」では口辺部の金が胴体下部の黒と対であると考えられます。
「染付金彩牡丹鶴文鉢」では見込み部分に金色で鶴と牡丹、周囲に青地の中に草花文が金色で描かれています。また「色絵荒磯文鉢」では見込み部分に染付で跳ねる鯉が描かれ、周囲に緑と青を地として菊や唐草文が金色で描かれています。金色の存在が器に華やかさを与えると同時にそれぞれ対比される色彩を引き立てています。
 蒔絵では黒い漆の地に金で施されます。金色によって漆黒の地色が際だち、また黒の中で金色が映えることとなります。黒と金色との対比は色彩的な響きあいの良さとともに「無」を象徴する黒と、華やかさの極としての金の対として選択されたのかもしれません。 
 茶の湯の世界では、熱海のMOA美術館に再現されている、秀吉が大阪城内に作ったとされる黄金の茶室があります。色彩的には金色と赤に満たされた空間で、今日の造形感覚からすると悪趣味としか言いようがないのですが、「待庵」に代表されるわび・さびの小間の茶室のいっさいの華やかさを排した負の造形との対と考えると理解できます。茶室が別世界である浄土として意識されていたとの前提に立てば、わび・さびの茶室と黄金の茶室は両極のアプローチであったと思われます。わび・さびの茶室が陰の極にあって華麗な別世界に思いをはせるのに対して、華やかな黄金の茶室は浄土そのものであると考えられます。ここではわび・さびを象徴する「無」としての黒と黄金が直接的な色彩対比を越えて意識の上で対となっています。
 黒と金色という日本を代表する色彩の組合せは単に視覚的な印象のみならず、日本の伝統的な美意識、すなわちわび・さびの世界から華やかな世界に思い、絢爛豪華な世界から冬(黒)の寂しさを思うとの観念に通じているように考えられます。
 陶磁器においても金色を用いたものは華やかで豪華で、黒楽茶碗に代表されるわび・さびの世界からはもっとも遠くにあるもののようです。しかし対として考えてみると互いに表と裏の関係にあるのかもしれません。
 現代の陶芸作家の中にもの、金色を表現手段として意識して用いる、中村錦平氏、川辺美佳氏のような作家がいます。現代においても金色は他の色彩との関係性の中で意識され使用されています。金は意識の上でも、色彩の上でも他の存在と対なのです。
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