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仁清の茶碗について

   泉滋三郎. 神奈川歯科大学基礎科学論集. 16:31-39 , 1999.

目次

1. はじめに
2. 仁清の茶碗
3. まとめ

はじめに

仁清の茶壺について、その描かれた図像からの解釈をした(注1)。そこでは千利休の目指した侘茶の世界とはまったく違う造形への指向が見られた。華やかに梅、桜、藤、芥子、吉野、龍などの絵の描かれた仁清の茶壺は、「金花」「松花」と銘された東山時代以来の茶壷とは著しく違っていた。
利休時代までの壺は、茶の湯での使用を前提としたものではなく、呂宋壺と呼称されるように、東シナ海交易の船での輸送用の容器であった壺に、茶の湯での意味を見出し、茶壺として見立て転用したものである。素地に化粧土を施した後、褐色の釉薬を全体にかけただけの意匠であり、表現を意図した図像はほとんどない。それに対して、仁清の茶壺は金森宗和の好み(思想)から意図された茶の湯の観念を図像として示しているのである(注2)。
信長・秀吉の時代となって、もともとケの道具であり、茶の湯の表舞台にはごく内輪の場合にしか登場しなかった茶壺を床の間に掛け物と一緒に飾るようになったのは、「松島」「三日月」「松花」「金花」「橋立」など茶壺に付けられた銘と、玉 筆の瀟湘八景図などの掛け物の図像、題名が床の間に理想の別世界を作り上げるとされてからであろう(注3)。
茶壷はかけられた釉薬などの景色から命銘されることはあるが(注4)、図像などで視覚表現するものではなかったのである。
仁清の茶壺は良仁親王(覚深法親王)の御殿とされた仁和寺の御室焼として、後水尾天皇の文化サロンの好みに従い、古典につながる図像を積極的に描き、まったく新しく作り上げられたものであった。それは利休の侘茶とはまったく違い、侘茶の対極とされる秀吉の黄金の茶室に代表される黄金趣味とも違った第三の新しい試みであった。
さて仁清は以下に示すように数多くの茶碗も製作している。茶碗については、その主要な色である黒については、陰陽五行説からの考察をした(注5)。また楽長次郎作の楽茶碗について、その色彩がなぜ赤と黒に限られるかは、赤と黒が日本古来から境界とその外側を象徴する色彩であり、彼方としての彼岸への指向があるからであると分析した(注6)。
仁清は茶碗を多く製作しているが、では茶碗には何が提示されているだろうか。仁清の茶碗の色彩、描かれたものについてみてみる。

目次

仁清の茶碗

色絵金銀菱文重茶碗(MOA美術館)

 形は歪みのない筒型で、金菱文と銀菱文の描かれた二個組の茶碗である。内側には黒い釉薬が施されている。胴外側は上半分が白地に一つは金、もう一つは銀の菱文が連続的に描かれ、口辺部は赤く縁取りされている。下半分は黒地に緑と赤で連続文が描かれている。箱蓋裏に金森宗和の好みで作られ、東福門院に献上されたと記されている。
内側と外側下部が黒であり、茶碗の基本色である黒が意図されている。金と銀の菱文は対としてあり、朱と黒などとともに組み合わせの対で全てを表わす考え方に基づくものである。菱はひしの実として秋を象徴しているので、仁清の茶碗全体に通じる秋への指向からの図像とも考えられる。それは菱文の部分の地が白であることに関わる。全体にそれまでの茶碗とは異なり、明確な図像が描かれた装飾性の高い茶碗である。

色絵七宝繋文茶碗

 歪みのない滑らかな丸みを帯びた椀形の茶碗である。全体に黒を基調としている。胴の外側の部分に楕円を基本とした七宝文が、赤・緑・青で描かれている。腰の部分には白地に赤・緑で連続文が描かれている。
黒が基調であることは、「色絵金銀菱文重茶碗」同様に茶碗の色彩伝統を踏襲していることとなる。七宝文は日本において浄土や仙界などの別世界を象徴する文様として使われてきた(注7)。茶碗に七宝文が使われていることは、茶碗が別世界からの賜物である茶の器であることを象徴していることとなる。茶の湯の意味が暗示されることから明示されていることとなる。

色絵扇流文茶碗(湯木美術館)

 全体に白い釉薬が施された、歪みのない滑らかな丸みをもった椀形の茶碗である。胴の部分に七宝文の描かれた扇と、風車のようなものの描かれた扇、さらに扇を水に流すしているようにも見える流水が金・赤を主な色彩として描かれている。内箱蓋表に伝金森宗和の「おむろやき」とある。
扇に描かれた七宝文は「色絵七宝繋文茶碗」と同様の意図であろう。扇を川に流すのは室町時代以来の遊びである。水の流れは茶碗の水のある所との象徴性に通じているが、茶碗全体の色彩が白であることは、陰陽五行説から秋をシンボライズしているとも考えられる。扇流文の図像からは風流な遊興のもつ異界への憧れの意識を見て取ることができる。

色絵鱗波文茶碗

 口造りに僅かな歪みがあるが、胴に僅かにくびれがあるが、胴締形というよりは全体的に滑らかな丸みをもった椀形である。内側には白い乳濁した釉薬がかけられ、胴外側は地の上に三角形を基本とした、鱗文が金・緑・青で規則正しく連続文として描かれている。外側の一部に鱗文を隠す形で緑色の釉薬が流しがけされている。内箱蓋表に筆者不詳の「鱗の紋薬切 仁清 金森所持 茶碗」とある。
鱗文、水が流れるようにかけられた緑色の釉薬、ともに水の象徴的図像である。黒楽茶碗が色彩によって水を表わしていたのに対して、文様や釉薬の表情で水を表現している。茶が再生をもたらす「生」であり、生命の生まれる出るところは黒=水のある所であるとの陰陽五行説的な理解が仁清の時代にもあったことを示すのか。

流釉茶碗 銘 片男波

 全体的に僅かな歪みをもつが、丸みのある柔らかな形態である。土の地の上に半透明な乳濁したした釉薬が流しがけされ、胴の景色は波の飛沫を感じさせる。銘は釉薬の景色による。
男波とは大小のある波の中で、飛沫をまき散らす大波を言う。言うまでもなく水に関わるが、水が見せる様々な表情の中で、生命感を直接的に荒々しく示す男波に、静謐を極めている茶室の中で、遥かに遠い海辺の光景へ思いをはせる表現と考えることができる。また茶室は船に喩えられるので、船に乗り彼方へ向かう道程で船べりに砕ける飛沫とも見ることができる。それは彼方、また彼岸への憧憬でもある。仁清の茶碗には珍しく暗示的な作品である。したがって銘が付けられている。

色絵青海波文茶碗(北村美術館)

 口造りに僅かな歪みがあるが、「色絵鱗波文茶碗」に似て滑らかな丸みをもった椀形である。外側の胴全体に青海波文が描かれ、一部にさらに波涛が立つ絵が描かれている。胴上部に波を意識した緑灰色の釉薬が流しがけされている。
意図するところは「片男波」と同様であろう。しかし図像によって具体的に海の波を描いている。海が示す彼方への憧れを見て取ることができる。それは海の彼方にあると信じられた別世界への指向である(注8)。

色絵忍草文茶碗(香雪美術館)

口造りは僅かに波打つ。口辺部から胴の外側一部に緑暗色の釉薬が流しがけされ、さらにその一部に乳濁した釉薬が僅かにかけられている。釉薬がかけ残された部分に忍草が描かれている。
忍草は「偲ぶ」から、慕い思うもととなることにかけられて、和歌に読み込まれている。

ということである。忍草を描くことは、仁清の茶碗の古典文学への親近性を感じさせる。偲ぶとは、今ははるかに遠い所、あるいは鬼界に去ってしまって逢えない人への思いであろう。忍草の図像には、逢えない人への面影が重ねられている。

色絵武蔵野図茶碗(根津美術館)

歪みはほとんどない椀形である。胴の外側は八割ぐらいの割合で暗茶色がかけられている。釉薬のかけ分けとは無関係にススキと思われる草花が朱と緑(青 ?)でほぼ全体に描かれている。
武蔵野という言葉からは、寂寥感、荒涼とした原野、遥かな地とのイメージがあり、茶の湯における彼方への憧憬に通じるのかもしれない。和歌の中では
とある。さらに紫草にかけられて と歌われている。武蔵野と紫草の関わりが興味深い。この茶碗も古典の教養が意識されている。

色絵紅葉賀図茶碗(東京国立博物館)

やや縦長の茶碗であり、口辺部が若干反り返っている。白地に青、金、赤などの色彩で紅葉、菊の御紋と五三の桐の紋が描かれた仕切り幕、太鼓が描かれている。明らかに紅葉を愛でる、あるいは紅葉を賀す(祝す)の場面である。
白地であるのは、陰陽五行説の五色における白が意識されたもので、秋を象徴している。描かれた図像が紅葉を祝す場面であることと対応している。菊の御紋、五三の桐の紋と天皇家に関わる紋章が描かれていることは、公家の文化伝統の下に製作された茶碗であることを示している。

色絵蔦の細道図茶碗

背の低い形だか、胴側面は直立している。馬盥と呼ばれる形式に近い。内側が黒とされ、外側は土味を基本として、道を示すように地と同じような色の釉薬が帯状に斜めに施されている。その上から蔦の葉が青、緑、赤で描かれている。
「伊勢物語」九に
とあり、「蔦の細道」とは静岡県の宇津山の峠道を指す。京から遥かに遠く、暗く細い道であるとされている。そこでの歌が
とある。蔦の細道の象徴するのは遥かな地であり、また細く暗く不安な場所である。華やかさの対極である。この茶碗は図像から「侘」を表わしていると考えることができる。「侘」とは彼方への指向であり、対極に光り輝く世界を意識したものであるからである。利休の侘びとは異なり、古典文学の教養から直接的に図像化していることとなる。

色絵鉄線蓮唐草文茶碗(根津美術館)

土味である胴の外側全体に唐草文が青色で描かれ、その中にいくつかの鉄線の花が鉄錆色で描かれている。その上から乳濁し、貫入の入る釉薬が流しかけられている。全体は僅かに茶味を帯びている。

色絵鉄線蓮文茶碗

口辺部にも白い胴にも歪みのない形である。素地に酸化鉄(紅柄)で鉄線の花と葉を描き、施釉した後、さらに上絵として金、赤、薄い緑で鉄線の花を描いている。

鉄線の根は「威霊仙」という生薬で、通風の薬とされる。薬は治療薬というよりは、生気をもたらすものと理解されていた。生気をもたらすという点で茶に通じている。

色絵芒文茶碗(湯木美術館)

口辺部が僅かに波打ってはいるが、胴に歪みは少ない。土味の胴全体に簡略化されたすすきが筋状に円弧を描くように濃い青で描かれている。その上から口辺部の一部にかかるように乳濁した白い不透明な釉薬が流しがけされている。その結果、すすきの一部は見えなくなっている。
すすきは秋を示す。秋の野に穂をなびかせる光景は華やかさから遠いものである。また都市から見れば、すすきは遠い野にあるものである。すすきの図像は彼方を思わせる。またすすきは十五夜にそなえることから月に関わる。月は別世界と理解されていた。

色絵龍田川文茶碗

形に歪みはなく、白地に淡い青で水の流れる様が描かれ、その上から赤絵で楓の葉が散らされている。

色絵龍田川文四方茶碗(MOA美術館)

四方茶碗の名が示すように、上から見ると四角形をなしている。白地に青で薄く流水文が描かれ、楓の葉が淡い緑、赤、金で描かれている。
この二つの茶碗に描かれた龍田川は奈良県にある川で紅葉の名所として古来有名である。
さらに
と歌われている。神奈備の三室山とは神の鎮座する山として聖域と考えられていた。龍田川に三室山からの紅葉が流れてきて、それを愛でることは単なる遊興ではなく、流れる紅葉に神との交感を感じ取っていたからであろう。桃太郎の物語のように、川の上流に別世界があるとの観念に通じている。
龍田川近くにある龍田神社の祭神は竜田彦であり風神である。紅葉は風に落とされるので風神の化身となる。同じく祭神とされる竜田姫は秋の女神である。二つの茶碗に描かれた流水と紅葉は、風流な遊びをこえて古い信仰に関わっていると見るべきであろう。

色絵牡丹文茶碗(MOA美術館)

歪みの少ない白地の胴に、金の縁取りで中が赤の円を描き、その中に金の縁取りをした緑色の牡丹が描かれている。

色絵牡丹唐草文四方茶碗

四角形の歪みのない白地の胴に、金と赤で牡丹が描かれ、その外側に青、濃緑色で牡丹の葉が花より小さ目に散らすように描かれている。
牡丹は浄土を意味する花である。茶碗の中に浄土のあること、あるいは茶碗が浄土からの賜物の器であることを図像で示している。

色絵梅鉢文茶碗

歪みのない胴の下三分の一と口辺部・内側を黒くされ、胴の中段に金地の唐草文と、円の組み合わせに様式化され、青、黄、緑、赤などで描かれ、金で縁取りされた梅文が上下に分けて配置されている。
黒の色彩と梅鉢文で、冬から春の気配が表されている。茶は冬の中に春が萌すようにすべきとの利休の教えを図像化している(注9)。

色絵唐子遊図筒茶碗

筒茶碗の形態をしている。外側の胴には、上四分の一には朱、緑、金で市松模様が描かれている。下四分の三には中国の絵から持ってきたと思われる、童子が遊ぶ絵が描かれている。今となっては黒ずんでしまっているが、おそらくは銀で描かれた源氏雲がある。
源氏雲に示されるように、ここに描かれた光景は現実世界を写したものではないく、神仙世界などの別世界である。子供は現実とは違う世界と交感できると信じられている。

色絵歌書巻文四方茶碗(MOA美術館)

乳濁する白い釉薬が全体にかけられた四方茶碗で、釉薬の上から絵巻物、書物が青、赤、金で描かれている。
既に述べたきたように、仁清の茶碗には和歌を中心とする、日本の古典文学の影響を見て取ることができる。歌書巻文が描かれていることは、仁清の茶碗と古典文学との関わりを証明するものである。この茶碗が作られたころ、和歌などが書かれた歌書、絵巻物は、なにか特別な神性を帯びたものとして認識されていたのであろう。

色絵波三日月文茶碗(東京国立博物館)

背の高い形態の茶碗であり、後述の「色絵松島図茶碗」に形が似る。胴の外側の素地が生かされた地の上にに青と緑で、波涛が描かれ、その波とまみれるように細い月が描かれている。箱書に「宗和老より来る 俊了」(注10)とある。
前述したように波涛は海、そして彼方をシンボライズしている。月は別世界である。波と月の組み合わせは、海上での光景の描写とか、趣味的になにげなく描かれたものではなく、遥かな彼方への憧憬として、異界への畏怖もこめて描かれたものである。

色絵松島図茶碗(大樋美術館)

背の高い、織部の「割高台茶碗」に似た形態である。素地を生かした茶色い地の上に、おそらくは俵屋宗達の「松島図」をモデルとしたと思われる絵が、青や茶色で波涛、島などが描かれている。
松島は風光明媚ゆえにのみ愛でられるのではない。日本では松が古来、神の依代として考えられ、転じて松を神仙世界と結び付ける発想から、庭園の池に浮かぶ中の島に松を配して蓬莱としたが、日本人の松に対する特別な思いを感じる。松島は現世浄土であった。神仙神話における蓬莱山である松島を茶碗に描いたことは、あの世への憧れであり、茶の湯の死と再生の観念の具体的な表われである(注11)。

色絵金銀菱繋文茶碗

椀形の黒い茶碗である。胴外側の中段やや下に金地に銀の菱形を連続して配した帯状の装飾がある。
図像の意味は「色絵金銀菱文重茶碗」と同じであろう。

色絵扇面文茶碗

歪みのない黒い椀形であり、正面に白地に赤、青、金で菊とすすきが描かれた扇面をもつ扇が描かれている。
黒は陰陽五行説で冬である。ところが描かれた図像は白地に菊とすすきである。絵は白地―陰陽五行説で秋―も内容も秋を示している。仁清の茶碗には秋を示すものが多い。

銹絵水仙図茶碗(天寧寺)

ほんの僅かに波打つ口造りであり、胴全体は白である。素地に酸化鉄(紅柄)で水仙が描かいた上から釉薬がかけられている。水仙の花は酸化鉄で縁の外側を描くことによって、花を白く浮き立たせている。京都の天寧寺は金森宗和の母の菩提寺である。
水仙を含めて全体に白が意識されている。水仙は冬の花とされ、黒い茶碗の冬の観念に通じているが、控えめに描かれた水仙という図像で冬が示されている。金森宗和の好みを「綺麗さび」というが、この茶碗の「さび」た風情には侘茶の新たな展開を見て取ることができる。

銹絵寒山拾得図茶碗(鹿苑寺)

歪みのない椀形である。胴外側に寒山拾得図が素地に酸化鉄(紅柄)で描かれ、その後釉薬を施して焼成されている。
寒山は唐時代の僧で、霊地である天台山国清寺に拾得とともに参禅した。二人が雑事や掃除などをする脱俗的な日々を過ごす様子を描いたのが寒山拾得図である。この画題は宋代以来好んで描かれた。二人は伝説的な人物で、神性を持つと考えられた。このように神仙世界に通じる絵柄を茶碗に描くのは、仁清の茶碗の中で「色絵唐子遊図筒茶碗」とともに例外的である。茶が別世界へ誘うものであり、その器である茶碗との意味を、古典的で典型的な人物画に託したものである。

銹絵叭々鳥図茶碗(梅澤記念館)

口造りが僅かに波打っているが、全体に歪みの少ない椀形の茶碗である。他の銹絵同様に素地に叭々鳥が枝にとまる図を描いた上から釉薬をかけたものだが、絵の色が黒である。 伝牧渓筆に「松に叭々鳥図」があるが、叭々鳥は色が黒で鳴き声がよく、吉祥を示す鳥として知られる。この茶碗も「松に叭々鳥図」が意識されている。叭々鳥の黒と吉祥を表わす象徴性が、茶碗の意匠に使われた意味である。

銹絵瓢唐草文四方茶碗

歪みのない四方茶碗である。胴外側に瓢箪と唐草が釉薬の下に塗り残すように描かれ、その後白く乳濁する釉薬がかけられている。その結果、瓢箪と唐草は白くなり、銹絵も乳濁している。内側は白である。
瓢箪は水の性を持つ。瓢箪によって水、冬が示されている。全体の白さとは関わりなく、図像で茶の生ずるところとしての茶碗を示している。先の「銹絵水仙図茶碗」に通じている。

銹絵蝶文四方茶碗

歪みのない四方茶碗である。胴外側に銹絵で蝶が描かれている。
蝶は荘子の「胡蝶の夢」との関わりを感じさせる。夢と現実の区別がつかなくなり、非現実をただようとの中に、別世界への憧れがある。茶は覚醒させる飲み物で、夢、睡眠に関わらないが、別世界という点で共通の観念を持つ。

目次

まとめ

 以上仁清の製作した茶碗についてその特徴を記述し、描かれた図像の意味について考察してみた。仁清茶碗の形状的特徴は歪みが非常に少なく形が整っているということである。形には幾つかのパターンがあるが逸脱することがない。金森宗和の「綺麗さび」の好みで製作されたとされるが、「綺麗さび」は鮮やかな轆轤の技を要求し、形体に破綻を見せないことを求めていたと考えられる。楽茶碗の堂々として整った形ではあるが、手びねりの痕跡があるのとは異なり、また織部茶碗の大胆な歪みとも違っている。あくまでも洗練された轆轤の技術である。
楽茶碗や織部茶碗との大きな違いは、明確な文様が描かれていることである。文様の題材は、有職故実、和歌、中国の神仙伝説から取られている。中には当時知られていた屏風絵などから取られたものもある。大半の茶碗に銘はなく、描かれた図像が茶碗に意味を与えている。天目茶碗などの解釈では陰陽五行説が重要な思想であったが、仁清の茶碗では、内側は黒くされたもの、流水文や鱗文など水に関わりのある文様なども描かれてはいるが、さして重要なものではなくなっている。梅、鉄線、水仙、龍田川と、季節への意識は様々であり、一様ではない。
天目茶碗や楽茶碗における別世界の意識は、色彩や釉薬の偶然からあらわれる表情から観念されるものだったが、仁清の茶碗では図像の意味としてあらわれる。それは抽象ではなく具体である。具体であるがゆえに多様である。長次郎作の楽茶碗では赤と黒が、日本の古来からの絶対的な境界の外側を象徴していたが、仁清の茶碗では様々な彼方としての別世界が提示されることとなる。
それは茶碗に託される「生」の萌す器との意味の変更である。それはただ単に金物宗和の好みという個人的な趣味性の問題ではなく、茶の湯の思想が大きく変更されたからであろう。その思想の変更こそ、茶碗に図像を描くことになった背景である。
それまでの茶碗が、それを観る人に銘という暗示からの想像力を求めていたのに対して、仁清の茶碗は、描かれた図像を自らの知識と照らし合わせて理解することとなったのである。茶の湯は、茶席の参会者が茶室の静寂の中で、松風と茶、さらにインスピレーションによって「あの世」へ行き来するものから、教養的な説明と解釈によって「あの世」を知るものに変化したのではないだろうか。

目次

注1 : 拙書『茶の湯とシンボル』、南窓社、一九九八年、一〇〇頁〜一〇〇頁
注2 : 仁清が宗和の指示で作陶したことについての資料がある。しかし今日伝えられている仁清の茶壺が直接宗和の指導によって製作されたかについては宗和の生没年と仁清が盛んに活動した時期との間に隔たりがあり疑問ではないだろうか。
注3 : 千宗室編『天王寺屋会記』(『茶道古典全集』第七巻)、淡交社、一九五六年、二四五頁に
とあり、また
千宗室編『宗湛日記』(『茶道古典全集』第六巻)、淡交社、一九五六年、一六一頁に
とある。
注4 : 例えば、千宗室編『山上宗二記』(『茶道古典全集』第六巻)、淡交社、一九五六年、五十五頁に
とあり、壺の表面の様子が銘の由来となっている。
注5 : 拙書『茶の湯とシンボル』、南窓社、一九九八年、一〇〇頁〜一〇〇頁
注6 : 拙書『茶の湯とシンボル』、南窓社、一九九八年、一〇〇頁〜一〇〇頁
注7 : 拙論『日本の伝統意匠とカトリックの関係』、神奈川歯科大学基礎科学論集 第十二号、一九九四年、三〜四頁
注8 : 沖縄ではニライカナイとして、海の彼方に神の国があるとされた。また中世まで熊野などで補陀落渡海として、海に船で漕ぎ出し浄土へ旅立つ、海の彼方に浄土があるとの信仰があった。
注9 : 立花実山の『南方録』にある利休が侘茶の心としてあげた、藤原家隆の
による
注10 : 林屋晴三編『日本の陶磁十二 仁清・乾山』、中央公論社、一九八九年、一〇五頁
注11 : 松島については、同名の茶壺がある。銘「松島」についての考察は、拙書『茶の湯とシンボル』、南窓社、一九九八年、一〇〇頁〜一〇〇頁を参照されたい。

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