「南蛮象牙蒔絵茶入」の意匠とカトリック信仰
第13回 民族芸術学会
多摩美術大学 上野毛 1997.4.28
泉 滋三郎
神奈川歯科大学
以下の内容は第13回 民族芸術学会で"「南蛮象牙蒔絵茶入」の意匠とカトリック信仰"と題して、発表したものをまとめたものです。使用した写真のうち著作権に関わるものは省きました。[写真資料参照]とあるのがそれにあたります。写真資料について知りたい方は、"25. 発表に使った写真について"をご覧下さい。
文章を引用する時はメールをください。感想やご意見も歓迎します。メールはここをクリックしてください。E-mailの アドレスはshigeizumi@kdcnet.ac.jpです。
1. はじめに
2. 南蛮象牙蒔絵茶入
3. ローマにいった「南蛮象牙蒔絵茶入」
4. カトリックと茶の湯の関係について
5. 「南蛮象牙蒔絵茶入」は聖餅箱からの転用か
6. 聖具の意匠に見るカトリックの受容
7. 1.七宝繋ぎ文について
8. 宣教師が七宝文を用いたのは
9. 2.聖龕等に描かれました樹木の表現について
10. 知恵の木 Tree of Knowledge
11. 命の木 Tree of Life
12. さまざまな対概念
13. 聖母子像を飾る装飾として、なぜ七宝繋ぎ文や藤・萩・桔梗・菊が描かれましたのか
14. 日本における葡萄文について
15. 聖餅箱について
16. 聖餅箱のミサにおける意味
17. 葡萄文を描くこと
18. 聖餅箱とイエズス会紋章
19. 内部=内容は外部=外被と転換する
20. 「南蛮象牙蒔絵茶入」の考察
21. 茶の湯は「生」を回復する再生の儀礼
22. 茶の湯とカトリックの思想的類似
23. 「南蛮象牙蒔絵茶入」は救い主イエス・キリスト
24. 謝辞
25. 発表に使った写真について
目次
一六世紀に我が国に伝来したカトリックはその信仰とともに、新しい造形をもたらしました。
聖龕(キリスト像や聖母子像を収める観音開きの扉を持つ箱)や聖餅箱(ミサにおいて聖体を示すパン〔オスチャ〕を入れる容器)などの聖具類は日本に来航した宣教師の指導で製作された。西欧の意匠のみならず、カトリックの伝来経路にあたるアフリカ・インドなどの意匠伝統も重ねられ、日本には無かった造形物を作り上げました。
聖具の製作にあたっては蒔絵・螺鈿や陶器など日本の伝統的な技法が使われました。
聖具に描かれました絵や文様には、キリスト像・聖母子像や「イエズス会紋章のように彼の地からもたらされたものもありますが、日本の伝統的意匠からも採用されています。キリスト像やイエズス会紋章が信仰のシンボルとして描かれましたように、絵や文様は趣味性や形式的に伝統を守るだけで描かれることはあり得ません。では日本の文様などはいかなる理解のもとで聖具に描かれましたのでしょうか。
これらカトリックの聖具類は江戸時代の禁教にもかかわらず今日数多く残されています。愛媛県今治市の愛媛文華館所蔵の「南蛮象牙蒔絵茶入」に描かれました意匠を解釈するとともに、日本で作られた聖具をカトリックの教義とそれに重ねられた日本の意匠とを検証するとともに茶の湯との関係から考察します。
目次
写真1 南蛮象牙蒔絵茶入 愛媛文華館
愛媛県今治市の愛媛文華館所蔵の「南蛮象牙茶入」の寸法は高さ7.2 cm直径7.2 cmです。全体の上からの4分の1程度の所で蓋と本体が分れています。
側面には象牙の地肌の上に葡萄文が金ともともとは銀であったと思われます黒みがかった色で蓋・本体にわたって描かれています。内側は無地で、象牙の地肌がそのまま表れています。
蓋の肩部は面取りされ、面取りされた部分は金が使われています。本体下部も面取りされていて、茶入としては「雪吹」(ふぶき)の形とされます。
写真2 南蛮象牙蒔絵茶入 蓋
蓋には前述のように金で描かれました円の中に「IHS」、イエズス会紋章の特徴です十字架が金で描かれ、さらに三本の釘が銀で描かれています。
金の円と面取りされた部分の間には鋭角的な三角形が銀色で、波状に揺れる鋭角的な形が金色で放射状に描かれています。
写真3 南蛮象牙蒔絵茶入 容器
この象牙蒔絵茶入は、蓋表に卍が描かれました木製挽き物の容器に入れられています。
「南蛮象牙蒔絵茶入」が入れられた木製容器の蓋表に卍が描かれていますのは、卍は仏教において吉祥万徳の相として仏像の胸に描かれる。卍が十字架の一つのバリエーションでもあるので禁教時代にカモフラージュとして描かれましたとも考えられますが、仏を表す卍の付けられた器に茶入が孕まれていますこととなります。仏教では「胸に万字あり、実相印と名づけ、大いなる光明を放つ」(往生要集大文第4)とあり、そこに真実があるとのことです。仏教における実相とキリスト教における聖体を表す印が重ねられていますこととなり仏教とキリスト教の関わりを考えます上で興味深いことです。
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「南蛮象牙蒔絵茶入」については、平成六年四月二五日の産経新聞の文化欄に「茶の湯とカトリックを結ぶ」と題された記事の中で取り上げられました。
記事によると武者小路千家十四代の千宗守家元はバチカン宮殿でローマ法王ヨハネ・パウロ二世に謁見し、愛媛文華館所蔵のイエズス会紋入り象牙蒔絵茶入の写しを献上したとのことです。
この点に関してはピーター・ミルワード著、金子一雄訳「お茶の巡礼―ローマ・アッシジ・リスボン」河出書房新社刊(1996)にその様子が述べられています。
千宗守氏は…
「利休居士自身は信者ではなかったが、日本人の精神生活に新しい深みを与えたカトリックの教えを知り、ミサも見聞して、居士の茶の湯に大きな影響を与えられたと思います」と述べています。
前出のピーター・ミルワードさんの著書の中で千宗守氏は、ヨハネ・パウロ二世教皇あての書簡を出し「…私は京都のカトリック系の学校に通っていたころを思い出します。すでに茶の湯の心得があったので、チャペルでのミサに出席するときも、茶道との共通点を少なからず発見しました。…司祭だけでなくキリシタンの武士や商人を相手に、千利休が語らう機会は多かったはずです。妻と家族も信者であり、ミサにあずかっていたと思われます。ただし自身は、キリスト教徒だとは公言していません。…茶道への新たなとりくみを模索していた千利休は、ミサという最後の晩餐の再現に深い感銘を受けたのだと、私は考えます。…」と書いています。
千宗守氏は前出の新聞記事で、利休居士の門弟には、高山右近や牧村兵部といったキリシタンや、細川三斎、古田織部のようなキリスト教の理解者がいたとして「利休居士自身は信者ではなかったが、日本人の精神生活に新しい深みを与えたカトリックの教えを知り、ミサも見聞して、居士の茶の湯に大きな影響を与えられたと思います」と語っています。
「南蛮象牙蒔絵茶入」は聖餅入の転用であるとする。
前出の新聞記事では、この「南蛮象牙蒔絵茶入」は聖餅入の転用ですとし、この蓋表に「IHS」とイエズス会の標章のあり、側面には葡萄文が描かれ、茶の湯で「雪吹」(ふぶき)と称される茶器と何故か同型の容器はもともとは日本に来た宣教師が聖餅入れとして作らせた物であり、禁教の時代に茶器に転用されたらしいとしています。
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本論に入る前にカトリックと茶の湯の関係についての論議を確認したい
カトリックと茶の湯の関係については、
松田毅一氏 関係がなかった(「キリシタン研究第二部」 風間書房 1975)。
村井康彦氏 利休七哲(『江岑夏書』による蒲生氏郷・瀬田掃部・細川忠興・高山右近・牧村兵部・古田織部・芝山監物)はキリシタンかその理解者ですとする。(「千利休」 日本放送出版協会 1977)
唐木順三氏 利休の茶の弟子のうちには、右近、織部、氏郷、掃部等の有力なキリシタン武将がいたが、それがどう利休に影響したかは具体的には解らない。利休キリシタン説の如きは俗説にすぎないことは確かです。(「千利休」 筑摩書房 1963)
芳賀幸四郎氏 キリシタンであったとする積極的な証拠は何一つない。自ら切腹していますことから明らか(「千利休」 吉川弘文館 1986)
など利休の弟子にはキリシタンがいたが、利休自身はキリシタンではない。ただキリシタンの形式に影響を受けたとする説が一般的です。茶の湯とカトリックに思想的な関係はないとされてきました。
本当に茶の湯とカトリックは関係がないか
カトリックと茶の湯の関係についての新しい見解
山田無庵氏(「キリシタン千利休」 河出書房新社 1995)
利休の切腹に至る経緯と切腹自体についての疑問
切腹したとする直接資料はない。
当時の切腹作法に適っていない。秀吉は切腹を命じながら首実検をしていない。
切腹した人物はさらし首にされないのに、利休の首は切腹の原因とされた木像に踏み付けにされる形でさらされた。
神戸市立南蛮美術館蔵 狩野内膳作「南蛮屏風」右隻中にキリシタンとして描かれています老茶人は利休です。
佐々木隆氏
教会法から考えますと利休がキリシタンでないとすると不自然です。
妻や娘がキリシタンであったとの説が有力にあるが、だとすると当時の教会法に照らしてみて、利休がキリシタンでないことは、教会の認めることとはならない。
利休七哲は一般に蒲生氏郷・瀬田掃部・細川忠興・高山右近・牧村兵部・古田織部・芝山監物ですが、違った組み合わせで挙げられるのは、織田有楽・荒木村重・千道安・佐々木不干・有馬玄蕃です。これらを合計すると十二人であり、十二使徒となる。
などの説から茶の湯とカトリックの関係を指摘する考え方もあります。
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聖餅箱とはいかなるものか
聖餅箱とは、ミサにおいてキリストの肉を象徴するパンを入れる器です。形状は様々ですが、円筒形で蓋にイエズス会の標章を持ち、側面に葡萄文が描かれました聖餅箱としては東慶寺の「ぶどう文聖餅箱」(写真4)があるが、径 9cm 高さ 11cm であり、南蛮象牙蒔絵茶入よりは大きい。また南蛮文化館所蔵のイエズス会紋章入り「七宝繋蒔絵螺鈿聖餅箱」「蔦蒔絵聖餅箱」(写真5)を含めて聖餅箱の形は単純な円筒形です。聖餅箱ですということへの疑問
あえて言えば茶器の「中次」(なかつぎ)と同型式ではあるが聖餅箱と茶入とは形体上の関連は無いと思われます。「南蛮象牙蒔絵茶入」が「雪吹」型茶入と同型式ですのは元々から茶器であったことを思わせます。では何故聖餅箱と同じ文様が描かれていますのか。この茶入には聖餅箱と同じの意味が込められていたからではないでしょうか。
聖餅箱という名称は例外的
ただし聖餅箱なる語が広辞苑や大辞林などの辞書に出ていない。このことは聖餅箱がはたして存在したかについて疑念を抱かせます。
南蛮象牙蒔絵茶入に描かれました葡萄文などを分析する前提として聖具に見られる意匠からカトリックは日本で如何に受容されたかを考えます。
写真4 ぶどう文聖餅箱 東慶寺 桃山時代 [写真資料参照]
直径9cm高さ11cm
写真5 蔦蒔絵聖餅箱 桃山時代 南蛮文化館
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「七宝繋蒔絵螺鈿聖餅箱」では円筒形の側面全体に七宝繋ぎ文が見られます。
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七宝繋蒔絵螺鈿聖餅箱 南蛮文化館
図1 七宝繋ぎ文
日本の伝統的な文様です七宝繋ぎ文(図1)は螺鈿の技法を用いられて日本で製作されたカトリックの聖具に多く使われています。インド=ポルトガル美術に見られるオラトリオ(聖母マリア像を収める厨子)を日本の蒔絵・螺鈿で作り上げた「花樹蒔絵螺鈿厨子」(個人蔵)では扉外側に橘・桜と飛鳥・楓・椿と鳥をとり囲む形で、扉内側では桔梗・菊を囲む形で七宝繋ぎ文が使われています。
七宝繋ぎ文は日本の伝統の中ではどのような場面で使われていますのでしょうか。
写真6 花鳥樹絵螺鈿絵聖龕及び聖家族と聖ヨハネ図 個人蔵 [写真資料参照]
「花鳥樹絵螺鈿絵聖龕及び聖家族と聖ヨハネ図」(個人蔵)(写真6)では、扉の外側に七宝繋ぎ文に囲まれて右に橘・柳・桜・尾長鳥、左に椿・楓・桐・撫子が描かれています。扉内側には外側同様に七宝繋ぎ文に囲まれて右に萩・桔梗・菊、左に藤が描かれています。
写真7 花鳥樹絵螺鈿絵聖龕 部分 [写真資料参照]
写真8 七宝繋蒔絵螺鈿聖餅箱 桃山時代 南蛮文化館 [写真資料参照]
高さ11.4cm直径9.5cm
図2 七宝繋蒔絵螺鈿聖餅箱 部分
七宝繋ぎ文はポルトガルの文様は日本の伝統的な文様で、宣教師たちが日本で選び出したものです。
日本ではどのような場面で使われていますのでしょうか。
七宝繋ぎ文の「七宝」とは仏教用語であり七種の宝物を指す、金・銀・瑠璃(るり)ー青色の宝石、猫目石?ー・玻璃(はり)ー水晶ー・車渠(しやこ)ー貝の一種ー・珊瑚(さんご)・瑪瑙(めのう)のことです。七宝は法華経などの仏典の中で極楽浄土の描写に用いられ、浄土の林は七宝の樹木より成るとされます。七宝繋ぎ文は七宝と関わり、仏教における浄土を意識した文様であり、転じて道教における神仙世界や別世界に通じています文様です。
写真9 東寺 五重塔 内部 [写真資料参照]
写真10 色絵岩牡丹皿 17世紀後半 栗田美術館 [写真資料参照]
日本で七宝繋ぎ文が使われた例として、陶磁器では17世紀後半に作られた鍋島磁器に「色絵岩牡丹皿」があります。東海に浮かぶ仙界です蓬莱を表現していますと思われます水に浮かぶ岩山と、浄土に通じています牡丹が描かれていますが、皿の高台部分に七宝繋ぎ文が見られます。
写真11 色絵七宝菊文皿 17世紀後半 戸栗美術館 [写真資料参照]
鍋島磁器には「色絵七宝菊文皿」(戸栗美術館)もあり、浄土意識に通じる菊を取り囲むように七宝繋ぎが描かれています。古九谷の磁器には牡丹・鳳凰・菊を取り囲む文様として七宝繋ぎ文を見ることが出来ます。
写真12 色絵鳳凰文茶壺 仁清作 江戸時代 [写真資料参照]
さらに仁清の焼物には「色絵鳳凰文茶壺」(重要文化財)があるが、壺の肩と蓋の部分に牡丹とともに七宝繋ぎ文が見て取ることが出来る。鳳凰は古来中国で、麟・亀・龍と共に尊ばれた想像上の瑞鳥ですので別世界に関わるものです。
七宝文は能衣装にも見られる
演じられる事柄が別世界に関わる能では、能装束の中に七宝繋ぎ文が18世紀に作られた「白地忍源氏車七宝繋模様摺箔」(東雲神社)や「茶白段山道七宝繋朝顔模様唐織」(東雲神社)に見ることが出来ます。
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宣教師たちが七宝繋ぎ文を聖母マリア像や聖家族や聖体を意味する聖餅(オスチャ)など聖なるものを収める器に使ったのは、七宝繋ぎ文が十字が連続する文様ですこととともに、七宝繋ぎ文の意味する浄土や別世界への意識がカトリックにおける聖なるものへの意識に通じていますと理解していたからと考えられます。
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聖具に樹木を描くのはキリスト教美術において聖なる木です生命の木と智恵の木であり対で描かれます。
命の木 エリコ近郊 カリフ・ヒシャム宮殿モザイク敷石 8世紀 [写真資料参照]
日本ではどのような理解の中で描かれましたのでしょうか。
写真13 黒檀象嵌獣足付大箪笥 リスボン国立古美術館 [写真資料参照]
インド・ポルトガル美術の「黒檀象嵌獣足付大箪笥」(リスボン国立古美術館)にも鳥と樹木の表現が見られます。「花樹蒔絵螺鈿厨子」では日本の伝統意匠によって生命の木が表現されたものでしょう。
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エデンの園にはえていた木(創 2.16-18:3.1-24)神はアダムに、園のあらゆる木から取って食べることを許可したが、善悪を知る知恵の木だけは除外した。「それを食べると必ず死んだしまう」からです(創 2.14)。物語の中ではアダムひとりが神の禁止令を聞いたとされていますが、エバもその詳細は正確に把握していたと思われます。蛇がエバを誘惑して「"園にあるどの木からも食べてはならない"などと、本当に神が言われたのですか」と言ったとき、エバはつぎのように答えています。「わたしたちは園の木の実は食べてもよいのです。でも園の中央にある木の実については、神が"それを食べてはならない・・・"と言われました」(創 3.1-3)。それにもかかわらず、エバはその木の実を食べるよう蛇に説得され、アダムにもそうするように勧めた(創 3.6以下)。アダム、エバ、蛇はみな不従順によって神に罰せられました(創 3.14-24)。
この記事は、アダムとエバに与えられなかった、そして木の実を食べることによってのみ得られる知恵が、どのような性質のものであったかを特定していない。註解者たちは、その知恵とは成熟、理性、あるいは外界を見る成熟した眼でしょうと示唆してきました。
古典期のキリスト教においては、旧約時代とは異なり、この物語が堕落と原罪の教義の中心テキストとなったのです。
写真14 黒檀象嵌獣足付大箪笥 部分 [写真資料参照]
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命の木は、その実を食することが永遠の生命をもたらすと考えられていたため、不死を象徴的に表現したものと言える。聖書はそのような木への言及に始まり、そして終わっています(創 2.9;3.22,24;黙 2.7;22.2,14)。この両極の間に、わずかな言及、あるいは暗示が見出せる(筬11.30;13.12;エゼ31.3-9;47.12参照)。命の木はいくつかの外典や偽典の中でも言及されています(エチオピア語エクノ書24.1-25.6;スラブ語エクノ書8.1-7;Wエズ8.25)。
古代近東において生命樹という思想はごく普通のものであり、様々な形態で表現されています。ギルガメシュ叙事詩では、ウトナピシュティムがギルガメシュに、海底にある植物を食べると若返ることができると語っています。エジプトでは、パロが太陽神レー(ラー)の統治する"天の"領域に存続するために、命の木から食べています。シュメールでは、命の木に似た木がディルムンの地に存在すると言われていた。それはエリドゥのアプシュ神殿に復元されていました。
創世記2-3章はエデンの園とそこにはえる2本の木、すなわち善悪を知る知恵の木と命の木について語っています(創2.9)。アダムとエバは知恵の木から食べて(創3.5-8)、その結果、園を追放された。「彼は手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きるかも知れない」からです(創3.22)。命の木はアダムとエバにとって永遠の生命の可能性を象徴していたが、その可能性に気づくことを神は望まなかった。文学上の用語では、この資料は神話、すなわち「神に関する真実を伝えることを意図した物語」と見るべきです。しかしながら、その木だけでなく、物語全体の持つ原因譚的性格を認識することによって、神話としての理解をさらに深めることができるでしょう。この記事は、なぜ蛇がはうのか、なぜ女性は出産で苦しむのか、なぜ食物を得るため働かなければならないのか、を説明しています。その木に関連して、物語は永遠の神学的、また人間的疑問です「なぜ人は死ぬのか」に対し解答を与えていますーなぜならアダムとエバが命の木を食べる前に園を追放されたからです。
写真15 花樹蒔絵螺鈿厨子 個人蔵 [写真資料参照]
「花樹蒔絵螺鈿厨子」には扉外側の右に雲を挟んで下に橘、上に桜と飛鳥が描かれ、左に同じく雲を挟んで下に椿と鳥、上に楓が蒔絵螺鈿で描かれています。雲は描かれました光景がこの世ではないことの象徴でしょう。鳥と樹木の取り合せはキリスト教美術では聖なる木です生命の木として智恵の木と対で考えられたものです。
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桜と楓が落葉樹、椿と橘が常緑樹として対
橘・桜・椿・楓が描かれていますが、桜と楓が落葉樹、椿と橘が常緑樹として対です。先の生命の木の考え方には、木が絶え間ない再生を繰り返すものとして、死に対する勝利を象徴するとの観念が込められています。木の中でも落葉樹には「生きるためにいったん死ぬ」との観念が、常緑樹には「永遠の生命の象徴」との観念があります。
桜と椿が春の象徴、橘と楓が秋の象徴として対
桜と椿が春の象徴、橘と楓が秋の象徴として対となっていますが、これらは龍と虎、鶴と亀や、漆塗りの器に見られる朱と黒の対で表と裏であり陰陽ですのと同様に「全て」を象徴する東アジア的表現ですと思われます。春と秋は対となって世界を表し、また生まれでる季節と枯れゆく季節の対として輪廻転生を象徴し、生命の再生を表していますと考えられます。
写真16 花鳥樹絵螺鈿絵聖龕及び聖家族と聖ヨハネ図 部分 [写真資料参照]
橘・柳・桜・椿・楓・桐・撫子の七種の草木は、聖なるものの象徴として日本の意匠から選ばれたのか。
「花鳥樹絵螺鈿絵聖龕及び聖家族と聖ヨハネ図」の扉の外側の橘・柳・桜・椿・楓・桐・撫子の七種の草木は周囲の七宝繋ぎ文とあいまって七という縁起の良い陽数に合せたものであり、めでたきもの、聖なるものの象徴として日本の意匠から選ばれて描かれましたものと考えられます。橘は香の名でもあり伽羅を指す。柳は楊柳観音が手に持つものです。桜は吉野が有名ですが、蔵王権現の神木とされます。椿・楓・撫子は襲の色目とされ古来愛でられていた。桐は菊とともに皇室の紋章ですとともに神紋にも用いられた。さらに枕草子に「桐の木の花、紫に咲きたるはなほをかしきに」とあるように賞賛されてきました。
扉の内側の左に藤、右に萩・桔梗・菊は左右で春秋を表しています。藤は「枕草子」に「めでたきもの、いろあひよく花ふさながくさきたる藤の、松にかかりたる」とあるように平安時代以前から松と組み合わされて吉祥を表すとされます。藤は四月から五月にかけて咲く花で、古典文学の中では晩春から初夏に咲く花として登場するが、主に春の花です。藤の花は春をシンボライズしています。萩は古典文学の中で秋の歌として、例えば万葉集に「秋の野をにほはす萩は咲けれども」とあるように多く登場する。桔梗は秋の七草であり、菊は秋に咲く花です。萩・桔梗・菊は秋をシンボライズしています。扉の内側は左に春、右に秋を描いていますこととなる先の「花樹蒔絵螺鈿厨子」の図像に通じています。
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カトリックにおけるキリストの死と復活の教義が、浄土への意識、春秋に対する死と再生の観念の中で理解されたからではないでしょうか。
さらに藤は花の形状が実った稲の穂に似ていますことから、豊かな実りのシンボルとされてきましたので、マリア信仰の豊穣に通じるものではないでしょうか。この龕からはカトリックの信仰は日本の思想哲学と重ねながら解釈されていたことを図像的に証明することが出来ることとなります。同様な例は「イエズス会紋花樹蒔絵螺鈿聖龕及び聖家族と聖ヨハネ図」(リスボン、リカルト・エスピリト・サント・シルヴァ財団)や「花鳥樹蒔絵螺鈿聖龕」(個人蔵)に見ることが出来ます。
インド・ポルトガル美術の「黒檀象嵌獣足付大箪笥」(リスボン国立古美術館)にも鳥と樹木の表現が見られます。「花樹蒔絵螺鈿厨子」では日本の伝統意匠によって生命の木が表現されたものでしょう。
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法隆寺金堂天蓋の軒の葡萄文
日本に葡萄文が現われるのは七世紀末、持統天皇の時に再建された現在の法隆寺金堂天蓋の軒の部分に描かれましたものが不完全ではあるが最初です。完全なものとしては薬師寺金堂基檀で発見された創建当初のものと思われます葡萄唐草の透彫金具ですとされます。さらに正倉院には日本人の作品ですことには疑問が残るが錦などの葡萄唐草文の作品が残されています。
葡萄文は天平中期以後途絶
しかしこの時代の日本美術の中で葡萄文は少なく主要なものではありませんでした。葡萄文は天平中期以後途絶えてしまい、八百年後の十六世紀に再び現われることとなります。(源豊宗『日本の文様 ぶどう』光琳社出版、1973、七頁〜八頁)
室町時代の葡萄文
室町時代に入って禅僧によつて描かれたのです。宋代院体花鳥画派の流れをくむ日観筆「葡萄図」や松田筆「栗鼠図」などの宋元画が日本にもたらされました。これらの画幅は室町時代の禅院で珍重され、桃山時代にかけて画僧たちによって写しが多く描かれました。葡萄は栗鼠と組み合わされて描かれることが多いが、宋元画で形成された表現形式が定型化して、室町時代に一般化したものですとされます。工芸作品としては室町末期の「葡萄栗鼠沈金蒔絵食篭」や「葡萄栗鼠沈金蒔絵太鼓樽」などがあります。(河原正彦『日本の文様 ぶどう』光琳社出版、1973、二一頁〜二五頁)
写真17 葡萄唐草文台座部分 薬師寺 奈良時代 [写真資料参照]
写真18 曽我蛇足筆「葡萄栗鼠図」 室町時代 [写真資料参照]
写真19 葡萄栗鼠沈金蒔絵食篭 本満寺 室町時代 [写真資料参照]
写真20 葡萄栗鼠沈金蒔絵太鼓樽 サントリー美術館 室町時代 [写真資料参照]
桃山時代、宣教師によって葡萄文が重視される
桃山時代にキリスト教が伝来すると、葡萄から作られる葡萄酒が聖体を表すことから、宣教師たちによって重視されることとなり、葡萄に関わる意匠が聖具を飾ることとなります。
写真21 ぶどう文聖餅箱 部分
写真22 インド ゴア サンタ・モニカ修道院 「彩釉陶製タイル」リスボン市立博物館[写真資料参照]
キリシタン遺物に見られる葡萄文は異国趣味的な南蛮意匠と思われがちですが、インドのゴアに一六三六年に建てられたサンタ・モニカ修道院の床に貼られた「彩釉陶製タイル」における地中海からインドにまで及ぶ葡萄の表現とは異なり、「葡萄栗鼠沈金蒔絵食篭」に見られるように中国からもたらされ日本で形式の確立した葡萄文が応用されたものです。
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聖具とりわけ聖餅箱には何故葡萄文が描かれましたのでしょうか。
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イエスは最後の晩餐でパンと葡萄酒を自身のからだと血に結び付け「これはわたしのからだです。これはわたしの契約の血です」と語る。
聖餅箱とはカトリックのミサ(聖餐式)においてパン(オスチャ)を入れる器です。ミサでは参会衆に司祭の聖別によってキリストのからだと血に変えられたパンと葡萄酒を分つ。イエスは最後の晩餐でパンと葡萄酒を自身のからだと血に結び付け「これはわたしのからだです。これはわたしの契約の血です」と語り、弟子たちに飲食するように勧めた。(マタイ26:26-29,マルコ14:22-25,ルカ22:15-20,コリント11:23-26)キリスト者は聖餐において救い主イエスの受難と復活にあずかり、イエスとの新しい交わりに招き入れられ、同時にイエスをかしらとする共同体としての教会をお互いに確証し合う。
「これはわたしのからだです」というパン制定
その意味で「これはわたしのからだです」というパン制定のことばは、いかなる時にも必ず自分が共にいるという弟子たちへの約束であり、また復活の前宣言ですとともに、聖餐の際のイエス自身の確かな臨在を教会に約束するものですとされます。
イエスの永遠的臨在を、弟子たちと教会に約束します。
「これはわたしの契約の血です」という葡萄酒制定のことばもまた、受難と死を通して新たな神関係へと人間を招き入れる救い主としてのイエスの永遠的臨在を、弟子たちと教会に約束するのですとされます。(『新キリスト教辞典』、いのちのことば社、一九九一年、角川周次郎氏による「聖餐式」「聖餐式の制定」の項による。)
ミサおいてパンと葡萄酒に象徴される救い主イエスの身体を食べる(聖体拝領)ことによってキリストの受難と復活を追体験します。
ミサおいてパンと葡萄酒に象徴される救い主イエスの身体を食べる(聖体拝領)ことによってキリストの受難と復活を追体験し、参会者がキリストを中心とする共同体=教会と一体ですことを確認しキリストの臨在を確信することによって精神の超越を果たすこととなります。
聖餅箱は単なる容器ではない。
このことからパンを入れる聖餅箱はただ単にミサで使われる容器ですことを越えてキリスト自身の器ですこととなります。
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葡萄文を描くことは葡萄酒がキリストの契約の血ですことに関わります。
キリストが「私はまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です」(ヨハネ15:1)「私はぶどうの木、あなたがたはその枝です」(ヨハネ15:5)といったことも関わります。
葡萄文が描かれましたものとしては他にイエズス会修道師によって製作された「葡萄秋草象嵌十字架」(リスボン国立古美術館)があり、正面に十字架で一般的なキリスト磔刑像ではなく聖体の暗示としての葡萄文が描かれいます。
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写真23 イエズス会紋章
「葡萄文聖餅箱」「七宝繋ぎ文聖餅箱」等には蓋表にイエズス会紋章が描かれています。
イエズス会紋章は十字架上の犠牲としてのキリストを象徴
イエズス会紋章にはキリストのイニシャルです「IHS」、心臓に打込まれた三本の釘、十字架が描かれていて十字架上の犠牲としてのキリストを象徴しています。
キリストの存在を示す文様
「花樹蒔絵螺鈿厨子」光背の文様
さらに紋章の周囲を放射状に取り囲む鋭角的な三角形と左右に揺れる鋭角形が交互に描かれました文様はインド・ポルトガル美術における「オラトリオ」において聖母子像の光背や「花樹蒔絵螺鈿厨子」の同じく聖母子像の光背の文様と同じであり、キリストの存在を示す文様です。
目次
レヴィ・ストロースによるヒバロ族神話分析
ヒバロ族神話分析におけるクラインの壷型神話の形式、すなわち内部=内容は外部=外被と転換する、(クロード・レヴィ・ストロース『やきもち焼きの土器づくり』渡辺公三訳、みすず書房、1990、221〜229p)の説を聖餅箱に適用すれば内容=キリストの身体は外被=聖餅箱と転換されることとなります。
聖餅箱にイエズス会文や葡萄文を描くことは、パンに象徴されるキリスト=内容を祝福する衣裳としての器=外被を越えて聖餅箱自体もまたキリストですことを示しています。
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茶入は「生」「気」「聖なるもの」の器
茶入と茶杓は袱紗(ふくさ)で清められ、仕服を着せて飾り、仕服、茶杓とともに拝見に出され崇拝の対象でした。茶入が崇拝の対象ですのは、茶が再生・甦りをもたらす「生」「気」の象徴であり、茶は「聖なるもの」であったからでしょう。
茶入は茶の湯の中で茶杓とともに袱紗(ふくさ)で清められ、さらに仕服を着せて飾り、仕服、茶杓とともに拝見に出されるように崇拝の対象でありました。茶入が崇拝の対象ですのは中に入れられる茶が茶の湯において再生・甦りをもたらす「生」「気」の象徴であったからです。さらに茶が「聖なるもの」であったからです。
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茶は鬼人と一体化して「聖なるもの」と考えられ、茶の湯とは「生」「気」を回復する再生の儀礼ですと考えますられます。
茶入については拙論「茶の湯道具について」東北女子大学紀要29号(一九九〇年)や拙論「竹と壷の象徴するもの」日本記号学会編『生命の記号論』記号学研究14(一九九四年)などで指摘しました。
茶壷や茶入のような壷には骨壷が「あの世」への入口と出口を持つ器ですこと、「竹取物語」では月へ帰るかぐや姫が壷に入った月の世界の薬、すなわち別世界の薬です「ふし(不死)の薬」を残していく話があること、中国の神仙伝説の「壷公」の話では壷の中に「壷中天」としての別世界があることなど別世界を内に孕むとの観念があり、「聖なるもの」への意識を持つのです。
茶入の蓋は象牙製で裏に金箔を貼るが、蓋裏の金箔と中にある茶の緑の組合わせは、金地に描かれました松図を髣髴とさせ、茶入の中にミクロコスモスとしての浄土があると考えますことも出来ます。
棗については拙論「茶の湯道具について」前掲書、や拙論「茶の湯における道教について」神奈川歯科大学教養課程紀要11号(一九九四年)などで指摘しました。
棗の名はその形が棗の実に似ていますからだけではなく、道教の神仙伝説で棗の実は神仙の食物で特別な力を与えるものであったこと、「不老不死」をもたらす生命の木の実ですと観念されたことが、「生」「甦り」の象徴ですとともに別世界を意識させるものとしての茶に通じ、茶を入れる道具として棗の名が意識されていたと考えられ「聖なるもの」への観念を見て取れるのです。
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「生」の再生儀礼としての茶の湯は、カトリックのミサにおいてパンと葡萄酒に象徴されるキリストの身体を食べる(聖体拝領)ことによって、参会者がキリストを中心とする共同体=教会と一体ですことを確認しキリストの臨在を確信することに思想において類似しています。
茶の湯とカトリックのミサが作法における類似を越えて、ともに「聖なるもの」と一体となることによって超越し永遠を目指すという点が同じですと既に指摘した。(拙論「カトリックは茶の湯と如何にかかわるか ーミサと茶の湯における神秘的融合についてー」前掲書、一八六頁〜一九〇頁)さらに茶とパン・葡萄酒が「聖なるもの」の臨在の証ですことは、教義の上からも茶の湯とカトリックが深い関係があることを示していますのです。
宣教師たちはカトリックの教義と茶の湯が類似性を持つものと知ったのでは
南蛮屏風に残された図像などから茶の湯とカトリックの結び付きを証明することが出来るが(愛知県 西蓮寺 南蛮屏風)、ただ単にもてなしや物珍しさから宣教師たちが茶の湯と関わったのではなく、カトリックの教義と茶の湯の意味とが大変に近い類似性を持つものと知ったからですと思われます。
ミサにおいて聖別することによって茶もまたキリストの身体を象徴しうると理解したのでは
「南蛮象牙蒔絵茶入」は宣教師の指導によって製作され、南蛮寺で使われたかカトリックの信者によって茶入として使用されたものでしょう。宣教師たちは茶入が「聖なるもの」の器ですことを知り、ミサにおいて聖別することによって茶もまたキリストの身体を象徴しうると理解したのではないでしょうか。そこには七宝繋ぎ文や花鳥の意匠がキリストや聖母子を祝福する装飾に使い得ると考えたのと同じ意志がはたらいていますと思われます。
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「南蛮象牙蒔絵茶入」に描かれましたイエズス会紋章と葡萄文は聖餅箱の写しではなく、意匠の意味を踏まえた上で描かれましたものです。すなわち中に入れられる茶とともに「南蛮象牙蒔絵茶入」は救い主イエス・キリストを象徴しています。
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本研究について資料を提供してくださった、愛媛文華館事務局長の越智務氏に感謝します。
また茶の湯研究について共に歩み、とりわけカトリックの考え方について適切な助言をしていただいた東北女子大学教授佐々木隆氏に感謝いたします。
本研究を始めるにあたって、「キリシタン千利休」を世に問い、私にインパクトを与えてくれた山田洋(無庵)氏のご冥福をお祈りしたします。
最後にこの発表の場を私に与えてくれた、民族芸術学会の皆様と多摩美術大学の関係者に感謝いたします。
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写真1 南蛮象牙蒔絵茶入 泉
写真2 南蛮象牙蒔絵茶入 蓋 泉
写真3 南蛮象牙蒔絵茶入 容器 泉
写真 南蛮象牙蒔絵茶入 泉
写真4 ぶどう文聖餅箱 東慶寺 桃山時代 源豊宗他著「日本の文様・ぶどう」光琳社,1973
写真5 蔦蒔絵聖餅箱 南蛮文化館 桃山時代 泉
写真 七宝繋蒔絵螺鈿聖餅箱 泉
図1 七宝繋ぎ文 新村出編「広辞苑」第四版CD-ROM版,岩波書店,1995
写真6 花鳥樹絵螺鈿絵聖龕及び聖家族と聖ヨハネ図 セゾン美術館編「『ポルトガルと南蛮文化』展カタログ」,1993
写真7 花鳥樹絵螺鈿絵聖龕 部分 上記資料を画像処理した 泉
写真8 七宝繋蒔絵螺鈿聖餅箱 桃山時代 南蛮文化館セゾン美術館編「『ポルトガルと南蛮文化』展カタログ」,1993
図2 七宝繋蒔絵螺鈿聖餅箱 部分 上記資料を画像処理した 泉
写真9 東寺 五重塔 内部 「芸術新潮」1995年7月号より
写真10 色絵岩牡丹皿 「世界陶磁全集8 江戸(三)」小学館 ,1978
写真11 色絵七宝菊文皿 「戸栗美術館開館記念名品展カタログ」, 1987
写真12 色絵鳳凰文茶壺 林屋晴三編「日本の陶磁12 仁清・乾山」中央公論社,1989
写真 命の木 エリコ近郊 カリフ・ヒシャム宮殿モザイク敷石 8世紀 荒井章三編「カラー版聖書大事典」新教出版社,1991
写真13 黒檀象嵌獣足付大箪笥 セゾン美術館編「『ポルトガルと南蛮文化』展カタログ」,1993
写真14 黒檀象嵌獣足付大箪笥 部分 上記資料を画像処理した 泉
写真15 花樹蒔絵螺鈿厨子 セゾン美術館編「『ポルトガルと南蛮文化』展カタログ」,1993
写真16 花鳥樹絵螺鈿絵聖龕及び聖家族と聖ヨハネ図 部分 上記資料を画像処理した 泉
写真17 葡萄唐草文台座部分 薬師寺 奈良時代 源豊宗他著「日本の文様・ぶどう」光琳社,1973
写真18 曽我蛇足筆「葡萄栗鼠図」 室町時代 源豊宗他著「日本の文様・ぶどう」光琳社,1973
写真19 葡萄栗鼠沈金蒔絵食篭 本満寺 室町時代 源豊宗他著「日本の文様・ぶどう」光琳社,1973
写真20 葡萄栗鼠沈金蒔絵太鼓樽 サントリー美術館 室町時代 吉岡幸雄編「日本の意匠14 五穀・蔬菜・果実」京都書院,1986
写真21 ぶどう文聖餅箱 部分 上記資料を画像処理した 泉
写真22 インド ゴア サンタ・モニカ修道院「彩釉陶製タイル」リスボン市立美術館 セゾン美術館編「『ポルトガルと南蛮文化』展カタログ」,1993
写真23 イエズス会紋章 上記資料を画像処理した 泉
写真 蔦蒔絵聖餅箱 蓋 泉
写真 「花樹蒔絵螺鈿厨子」光背の文様 上記資料を画像処理した 泉
写真 南蛮屏風 西蓮寺 日本経済新聞社編「安土城障壁画復元展カタログ」,1993
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