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柿右衛門様式における図像表現について

   泉滋三郎. 神奈川歯科大学基礎科学論集. 18:35-47 , 2001.

目次

1. はじめに
2. 柿右衛門様式作品を形体、文様の描かれ方から分類
3. 分類表からの考察
4. いくつかの作品について
5. まとめ

はじめに

日本における磁器生産は肥前国佐賀藩主鍋島直茂の軍によって朝鮮より連れられてきた陶工の一人、李三平(後の金ヶ江三兵衛)が元和元年(一六一五)に肥前有田の泉山で磁器原料陶石を発見し、白磁を生産したのが最初だとされる(注1)。その後、初期肥前染付磁器を経て、十七世紀後半に有田において色絵磁器が作られるようになった。色絵磁器は古九谷、柿右衛門様式、鍋島様式を経て江戸時代に日本独自の様式である古伊万里磁器に至った。
初期の色絵磁器は、その技法・加飾様式とも中国からもたらされたとされるが、その経緯は明らかでない。柿右衛門様式についていえば、初代柿右衛門が喜三右衛門の名で残している「覚」という文書に唐人「志いくわん」から長崎で東島徳左衛門に伝授され、その後自分が「ごす権兵衛」と協力して赤絵を作り上げたとされている(注2)。
しかし一九八八年に有田町教育委員会による有田町赤絵町旧北島家の発掘調査で、一六六〇年代から江戸時代を通じての色絵の展開が層位的に発掘された陶片よって明らかになった。そこには初期柿右衛門様式の磁器と古九谷様式の磁器が共存しており、柿右衛門家との関係が明らかでない色絵磁器職人集団が存在したことが想定されることとなった(注3)。
この発掘の結果、矢部良明氏のいう、十七世紀の古九谷様式の磁器と初期柿右衛門様式の磁器は景徳鎮民窯の色絵を母にして生まれた二人の子供であるとの説は意味を持つものとなった(注4)。しかし景徳鎮民窯の磁器と柿右衛門様式や古九谷様式の磁器は明らかに違うものである。本稿では景徳鎮民窯の様式を持つ色絵磁器がわが国に導入された後、次第に変化し日本独自の様式になっていった点について主に磁器に描かれた図像から考察する。
本稿では景徳鎮民窯と古九谷様式、柿右衛門様式との関係、初期色絵様式と江戸時代の古伊万里様式との関わりについては言及しない。また各様式各作品の編年研究や歴史的な意味については先学に委ねることとする。
中国、特に景徳鎮民窯の図像表現が、柿右衛門様式の中で変化し日本化したことについては既に簡単にふれた(注5)。ここでは今日、柿右衛門様式とされている代表的な作品をリストアップし、柿右衛門様式が日本独特のものであるとされる点を図像の描き方や日本人の自然観、空間意識などから考察した。

目次

柿右衛門様式作品を形体、文様の描かれ方から分類

柿右衛門様式の作品を比較するに当たって、染付磁器を省き、色絵磁器のみとした。また狛犬や人形などの彫刻的な作品と陶板はその独特の表現様式から注目されるが、比較する対象としては向かないと考え除外した。考察はいわゆる器物に限った。
表には各作品について、およその製作年代にしたがって番号をふったが柿右衛門様式作品のそれぞれの製作時期を特定することは例外的な作品を除いて不可能なので、既にある研究成果での表示順にほぼ従った。柿右衛門様式は一六六〇年代に始まり、一六八〇年代に盛期を迎え、一七〇〇年代に退潮期を迎えたとされることを念頭においている。
表1では今日知られている代表的な柿右衛門様式の作品について、図像が器の全体にわたって描かれているか、それとも部分に描かれているか、また器の胴に窓状に描く場所(窓絵)を特定して主な文様を描いているかを分類した。次に「濁手」と呼ばれる白濁色の地の部分が図像の余白としてどの程度残されているかを分類した。さらに主な文様が描かれている場所が横線などによって縁取りされているかを調べた
表2では地紋の有無、主文様以外の付属文様を三つまであげた。

目次

分類表からの考察

文様の特徴から便宜的に表の31.色絵花鳥文六角蓋付壺までを初期、32.色絵梅竹虎文六角瓶から56.色絵秋草文輪花鉢までを中期、57.色絵竹虎文八角鉢からを後期とした。
表からは、初期の柿右衛門様式と考えられている作品には3.色絵沢瀉文大徳利、4.色絵雲文水注、5.色絵雲文壺のように文様が器全体に描かれ、線状文などの地紋によって白い地がまったく無いものがある。これらは我々が通常イメージしている柿右衛門磁器とはかなりかけ離れたものである。
初期の柿右衛門様式には明代から清代の景徳鎮民窯の作品、例えば「五彩牡丹文有蓋壺」(東京国立博物館)に見られる窓絵の作品がある。また初期作品にはいくつかの文様が器全体に描かれ、白地の空間を空ける意識が希薄である。さらに元以来の中国陶磁の文様表現では一般的な胴の肩とか裾に横線を入れて数箇所で上下に区切る図像形式がほとんどである。
柿右衛門様式の初期作品には主文様の他に横線で区切られた上や下に装飾的な付属文様が加えられているものが多い。その文様は中国からのものであり景徳鎮民窯のものに類似している。主文様には菊文、花卉文、花鳥文などであるが、蓬莱に見立てられた太湖石が描かれ、仙界のイメージが強くするものである。柿右衛門様式の文様には、元や明の染付に見られる龍、鳳凰などの形而上の事物を前面に押し出した作品は少なく、龍や鳳凰は描かれていも控えめである。
初期から中期になると、まず、器に巻くように付いていた横線の区切りがなくなる。また器全体に描かれていた文様が、器の一部分に描かれるようになり、図像形式が文様から絵画的なものへ変化する。「濁手」の白い地の部分は拡大し、器全体が白いものとなっていく。このように白く、絵が部分的に描かれたものは景徳鎮民窯の色絵磁器には存在せず、日本独自の様式である。
器の形体では壺が少なくなり、皿、鉢が多くなる。また器の成形方法に轆轤だけではなく、33.色絵花卉文八角瓶、43.色絵梅竹虎文輪花皿のように型を使って成形したと思われるものが出てくる。装飾的な付属文様は無くなり、あっても僅かなものとなっている。
主文様というか主たる図像には42.色絵司馬温公甕割図八角皿、43.色絵梅竹虎文輪花皿、51.色絵唐子獅子婦女図十角鉢など中国の神仙伝説等に原案が求められるものもあるが、35.色絵秋草文八角瓶一対、47.色絵檜垣柘榴文皿、53.色絵粟鶉文八角鉢、56.色絵秋草文輪花鉢など日本の事物を描いたものが登場する。また46.色絵花鳥文皿、48.色絵花卉文輪花鉢などの花鳥文、花卉文も太湖石が描かれてはいるが、図像の印象が神仙世界というよりは現実世界に近い。
後期または退潮期の柿右衛門色絵磁器には63.色絵梅に鶯図八角鉢などのように純日本風の花鳥図が描かれたり、64.色絵椿文輪花鉢、65.色絵風俗図桔梗鉢などのように今までの柿右衛門様式を逸脱してバランスを逸した感の花が大きく描かれたり、風俗図として現実感のある人物が描かれたりしている。もはや景徳鎮民窯の様式からのものはまったく見ることが出来ず、花や人物の図像をそのままダイレクトに描いたものとの印象が強い。さらに67.色絵遊舟図輪花皿72.色絵双鶏図皿のように陶磁器に描かれた絵というよりは、伝統的な日本絵画をそのまま写したような作品が現われている。
退潮期には「濁手」といわれた白濁色の地は、その柔らかさを失いやや硬質な感じがする。付属する文様はなく、あっても控えめに唐花唐草文が添えられているにすぎない。

目次

いくつかの作品について

色絵菊文壺(東京国立博物館)

胴の上から三分の一あたりがもっとも幅広な壺で高さは三十四・四センチである。径の三分の一ほどの口を持ち、口辺はやや立ち上がっている。壺の形式としては十六世紀の景徳鎮民窯の「五彩孫悟空図壺」や「法花蓮池水禽図大壺」(松岡美術館)に近い。
胴中央に地紋の七宝繋文に菊の窓絵が描かれている。口辺部に赤で雷文、胴の肩の部分に赤と緑で唐花唐草文、胴の裾の部分に赤で羊歯飾文が描かれている。地紋の七宝繋文も赤で描かれている。口辺部の雷文、肩の唐花唐草文、裾の羊歯飾文という点では十六世紀の景徳鎮民窯の「青花琴棋書図大壺」(戸栗美術館)と共通する。
主な文様である菊文は文様というよりは図案化された絵画に近い。太湖石から立ち上がった菊の花が窓絵全体に描かれている。菊文は中国で元時代からあるが、十四世紀の元時代の「釉裏紅菊唐草文瓶」(戸栗美術館)や「釉裏紅菊文稜花大盤」(萬野美術館)などに見られるものは唐草の一つのバリエーションともいうべきもので、この「色絵菊文壺」のような絵画性はない。図像の様式は「法花蓮池水禽図大壺」の蓮に近いといえる。
全体としては形体、菊文の窓絵や種々の文様など景徳鎮民窯の様式から導き出されている。初期の柿右衛門様式が景徳鎮民窯に強く影響されていることを示す作品である。

色絵雲文壺(個人蔵)

「色絵菊文壺」と同形式の壺であるが、やや細身である。高さは三十三・〇センチである。
口辺部に明るい青と黄と緑で三角帯文があり、裾には赤で帯が巻かれている。それ以外の同全体に線状文を地紋として、雲文や梅鉢文が散らされている。このような様式は景徳鎮の作例の中に見ることが出来ない。地紋の線状文を除くと後の柿右衛門様式に近いものとなる。ただ雲文や梅鉢文は胴全体に均等に描かれており、中期以後の柿右衛門様式の図像とは異なる。
線状文で全体を覆うのはこの時期の柿右衛門様式だけに見られる特徴である。また雲文は景徳鎮の陶磁器ではほとんど見ることがなく、わずかに龍文の添え物に雲が描かれることがあるのみである。また梅鉢文は仁清の「色絵梅鉢文茶碗」に見られるように日本独自の文様である。
形体や横線で文様を描く場所を区切る点では景徳鎮民窯の様式を踏襲しているが、地紋の描き方や雲文や梅鉢文の使用に独自の表現が見られ、柿右衛門様式の変遷にとって重要な作品である。意味の見られない線状文による地紋は後の乳白色の濁手への過渡的な段階を示しているのかもしれない。

色絵芭蕉文茶筅形瓶(個人蔵)

名称にあるように下膨らみの茶筅のような形をした瓶である。高さは二十六・八センチである。
口辺部は緑色を呈し、胴体上部に口辺部と境あたりに区切りの線が入り、その下胴体のほぼ全体が黄色をなしている。胴体部分には縦に分割され、それぞれ黒で描かれた線状文と丸文を地紋として、緑などの色彩で芭蕉と冬瓜が描かれている。
色彩的には白が無く、図像の無い余白がほとんど無い。黄色や緑の色彩は古九谷に近い。矢部良明氏のいう、古九谷様式の磁器と初期柿右衛門様式の磁器は景徳鎮民窯の色絵を母にして生まれた二人の子供であるとの説を裏付けるような作品である。
描かれた芭蕉、冬瓜はいずれも南方に起源を持つ植物であり、中国陶磁の中では描かれたことがない。冬瓜が描かれた作品としては楽長次郎作の「三彩瓜文平鉢」(東京国立博物館)が知られている。「三彩瓜文平鉢」については中国南部の交趾三彩との類似がいわれるが、描かれた冬瓜にも南方との関わりが見て取れる(注6)。この「芭蕉文茶筅形瓶」に描かれた芭蕉と冬瓜も描かれた意図に南方への意識があると思われる。芭蕉と冬瓜の図像は日本独自のものである。

色絵山水文壺(個人蔵)

「色絵菊文壺」と同形式の壺であるが、口が広くやや細身で、高さは二十七・〇センチである。
全体に乳白色をしており、口辺部と肩に赤と青と緑で帯状にやや太い線が描かれ、胴体の上部四分の三に青を基調として緑、黄、赤で山水が描かれている。また裾に細い赤で横線が入れられている。山水の内容は水面、太湖石のような島状の陸地、樹木などである。水に浮かぶ陸地は蓬莱島と考えられ、中国の神仙世界のイメージである。
描き方は景徳鎮の陶磁器のような緻密で正確な描法ではなく、稚拙に見え曖昧でおおらかなものである。描かれた樹木も松、柳、芭蕉などと思われるが定かではない。山水を描く形式のものは景徳鎮の陶磁器にも見られるが描き方に独自なものが感じられる。全体に白への意識が感じられ、後の柿右衛門様式への過渡的な作品の一つであろう。中国的な図像テーマと柿右衛門様式独自のおおらかな描法が融合している。

色絵牡丹唐草文壺(個人蔵)

「色絵雲文壺」と同形式の壺である。高さは三十六・四センチである。
乳白色を基調とし、口に赤で細い線が入れられ、口辺部には明るい青と黄色で三角帯文が描かれ、肩の部分には赤の七宝繋文を地紋とし四ヶ所に開けられた窓に梅文が青と赤で描かれている。胴の大半には牡丹の花が赤、黄色で描かれ、葉が青と緑で描かれている。裾には赤の横線で区切られて、緑と黄色の三角帯文がある。
牡丹は胴体全体に均等に描かれており文様であるが、花が様々な相で自由に描かれており、また葉や枝などが奔放に描写され絵画に近い。牡丹を描くことは中国陶磁の影響と思われるが、図像から受ける印象は大きく異なっている。
中国陶磁の中で牡丹は「白磁牡丹唐草文瓶」北宋十一世紀(大阪市立東洋陶磁美術館)や「白釉黒掻落牡丹唐草文瓶」北宋十一世紀(五島美術館)などのように古くから描かれている。牡丹は景徳鎮の染付磁器にも多く描かれているが平面的にに様式化された文様であり絵画的ではない。さらに時代が下って十八世紀の清時代に景徳鎮官窯で作られた「粉彩牡丹蜻蛉図大盤」(梅沢記念館)には写実的な絵画としての牡丹が描かれているが、その写実的であるがゆえにこの「牡丹唐草文壷」とは大きく感じ取るイメージが違っている。
牡丹を絵としてデフォルメして大胆に描くことは古九谷の「色絵亀甲牡丹蝶文大皿」(梅沢記念館)などにも見られるが、古九谷のもの文様ではなく絵画である。これらのことから「牡丹唐草文壷」の牡丹の描写は絵画に近い文様であり他に類例がないように思われる。
文様ではあるが絵画に近い牡丹の描写と、花と花の間隔の大きさは白への意識とともに、後の柿右衛門様式に通じる空間への志向を感じることが出来る。

色絵花卉文壺(個人蔵)

形状は今まで述べてきた壺とは異なり、やや肩が張った口の広い壺である。高さは三十・三センチである。
口辺部に細い赤線で区切られて三角帯文が同じ赤で描かれ、裾にも赤の三角帯文がある。肩の部分に赤で二本の線が廻されているが、胴の大半には唐花唐草文が地紋として描かれ、その中に窓絵が開けられている。窓には花卉が白地に葉が青、花が赤、緑、黄色で描かれている。
全体の様式は景徳鎮窯の「五彩牡丹文有蓋壷」(東京国立博物館)に通じている。しかし「五彩牡丹文有蓋壷」より窓が大きく、窓絵の花の描写も余白が大きく白を強く意識させる描写である。
窓に描かれた花卉はおおらかに描かれており、特定の花への意識が希薄である。曖昧な花の絵は、「五彩牡丹文有蓋壷」のしっかりと描いた牡丹の絵とは明らかに違う。理詰めではないゆるやか描写は、全体の様式が中国からもたらされたものであるに関わらず、柿右衛門様式に独自性を表出している。ベトナムなど南海の陶磁器の影響であろうか。

色絵花鳥文壺(戸栗美術館)

広口の小ぶりな壺である。高さは十五・三センチである。
口に青で細い線が引かれ、口辺部には赤で細い直線を連続的にひいた文様があり、裾には赤で三角帯文がある。肩の部分に七宝繋文が赤で描かれている。胴の大半の部分に花鳥文が黒で輪郭を描いた上にびっしりと多彩に描かれている。描き方は力強く花や鳥の絵がお互いの大きさを無視してデフォルメされている。柿右衛門様式に特徴的な余白は無い。
柿右衛門様式とされる中では中国陶磁の影響が強く出ていると思われる。しかし景徳鎮窯の「五彩花鳥図鉢」(東京国立博物館)などと比較するとラフだが力強さを感じさせる描写である。花の種類は定かでないが、鳥は中国陶磁の花鳥文に見られる鳳凰等の架空の動物ではなく、鶯と思わせるような現実世界の鳥である。柿右衛門様式としては例外的な作例であるが、花鳥の描き方は独特であり、中国の花鳥文を描いた磁器とは明らかに違う流れの中にある。

色絵花鳥文深鉢(東京国立博物館)

直径が三十三・〇センチの大ぶりな鉢である。口辺部に二本の青い線が引かれ、その下胴の四分の三にわたって花鳥文が赤、青、緑、黄色で描かれている。裾には青の横線で区切られて花卉文が花鳥文と同様な色彩で描かれている。同様な作例は「色絵花鳥文大蓋物」(出光美術館)があり、形体の違いはあるが花鳥の描き方で類似したものは「色絵花鳥文瓢形大瓶」などがある。
花鳥文は先の「色絵花鳥文壺」のものとは大きく異なり、広く余白が取られ、器の前後に描かれた太湖石から菊の花や牡丹と思われる花が咲いている。石の頂にはそれぞれ二羽の鶯と思われる鳥がとまっている。濁手による白濁色の余白は絵画における空間を意識したもので、そのことは地表をなす岩の連なりにも現われている。空間の上下関係も意識されており、文様というよりは絵画である。
全体に淡い色調の華やかなものであり、繊細ではなくおおらかである。絵の描き方は写実的ではなくゆるやかなタッチで、花や鳥が空白(空間)との関係を考えて配置されている。横線で区切られて器の中に絵を配置してはいるが、窓絵に代表される器の胴に絵の区画を設ける様式から離れ、後の柿右衛門様式の器全体を濁手の白濁色とし、器自体を絵画的空間として図像が描かれる様式に近づいている。
花鳥が描かれている場面は太湖石が蓬莱に見立てられた想像上ののものであろうが、空間の意識に現実との繋がりを見ることが出来る。

色絵花卉文八角瓶

角にやや丸みを付けられた細身の八角形をした瓶である。口辺部に小さく連続文がある。胴には濁手の白い空間が広く広がり、裾部分にわずかに顔を出す黄色と緑で描かれた太湖石から花の茎と葉が青と緑で描かれ、花は主に赤で描写される。花卉は文様ではなく絵画である。
もはや太湖石と花の絵を器の中で区切る窓や線は無くなり、器全体が白で示された奥行きのある空間となっている。柿右衛門様式を特徴づける濁手の白濁色が強く意識されている。この作品では太湖石と思われる描写があり、地表が描かれている点で「色絵花鳥文深鉢」などとの共通点を見出すことが出来るが、区切られた場所での奥行き表現(例えば平面絵画のように)ではなく、立体的な器自体に奥行きを意識している点で、柿右衛門様式にひとつの到達点を見ることが出来る。同様な作例は「色絵花卉文八角瓶一対」(サントリー美術館)など多数見ることが出る。また形態は違うが「色絵花鳥文皿」(九州陶磁資料館)なども同じ意図で製作されている。

色絵粟鶉文八角鉢(MOA美術館)

八角形をした径が二十四・二センチのやや深い皿である。縁に赤で唐草文が配されているが、中に描かれた絵を区切るものとは言えない。器全体は濁手の白濁色をなしており、器の内側右寄りに緑、赤、赤黄、黄色で粟と鶉が二羽描かれている。
粟は地面から伸びていて、鶉は土の上にいる。しかし地表を表すもの一切描かれていない。水平方向の空間を示す図像はなく、垂直方向とともに白い空白(空間)が渾然一体となっている。にもかかわらず観るものはそこに確実に空間の広がりを意識することが出来る。濁手の白濁色がただ白の美しさのためにあるのではなく、立体的な空間を構築するためにあると理解される。
描かれた粟も鶉は、中国陶磁にある龍や鳳凰のような形而上の図像からは遥かに遠く、また太湖石と花鳥図のような神仙世界を意識した図像とも大きく異なっている。粟と鶉は日常的な現実を強く意識される。しかし後の柿右衛門様式の衰退期に現われる白い鉢の一部に椿の花を大きく描く「色絵椿文輪花鉢」とか、同じく白い鉢に武者姿を描く「色絵風俗図桔梗鉢」などの日常性とは違うものと考えられる。
この時代の陶磁器に描かれる図像はすべて何らかの非日常性に関わりを持っている。中国陶磁の龍や牡丹はいうに及ばず、花鳥図もこの世の現実の写実として描かれているのではない。すべてこの世のものではないもの、別世界を図像化しているのである。ではこの「色絵粟鶉文八角鉢」に見られる日常性は何であろうか。それは日本古来からの信仰に見られる現世浄土意識ではないだろうか(注7)。

まとめ

柿右衛門様式に磁器の図像表現を見てきたが、初期のものには明らかに景徳鎮民窯の磁器作品の影響がある。それは窓絵、複数の付属文様などである。しかし初期の作品でも中国磁器の隙の無い様式性は希薄である。同じテーマの図像でも中国磁器の完璧さではなく、どこかおおらかに描かれている。この曖昧さ、不完全さは日本の磁器作品の特徴の一つと言えるであろう。
牡丹文などで特徴的だが文様というよりは絵画に近いものがある。もちろん後の清朝磁器には極めて絵画的な作例があるが、器全体に鷹揚で大胆な描き方をしたものは日本独自のものであろう。写実的ではなくデフォルメされ、絵画とは言い切れないが規則性を持った文様でもない表現がある。花卉文や山水文などを含めて描かれた文様に共通する特徴である。
中期の柿右衛門磁器は大きく広がる「濁手」の白い地が特徴的であるが、それがただ単に地を見せるために白いのではなく、そこに空間の広がりがあることが特徴的である。絵画の背景をなす白い空間は最初は太湖石などの地表表現の上に奥行きとして広がるものであったが、その後、地表表現が消え全体の空間をしめすものとなっていった。地表表現をしていないのに木々や鳥は地面にあることとなった。そこには個々のものに対する意識と同等に空間への強い志向を感じる。
描かれた内容は形而上的な鳳凰とか龍はほとんどなく、花鳥文も象徴的なものではなく現実的な描写である。特に秋草文や粟鶉文などは現実の秋草や粟・鶉を描写している。この時代、陶磁器に文様や絵を描くことは今日の絵画における意味とは違う。茶の湯道具の茶碗や茶壷について述べたように(注8)、そこには別世界、浄土の観念あるいは寿ぎの意識がある。柿右衛門様式の磁器に描かれた文様や絵もまた例外ではない。現実感のある花鳥や秋草、粟、鶉が描かれるのは、日本人の自然観とあいまって、現世浄土意識の図像的表現であると考えられる。中国磁器に描かれる文様などの図像と柿右衛門様式の図像とが決定的に異なっているのは、絶対的な天の意識から鳳凰や龍、あるいは観念的な花鳥図を描く考え方と、自然と浄土が渾然一体となった意識から秋草や鶉を描く考え方が違うからである。してみると「濁手」の白い空間もまた現実の事物ではあるが浄土でもある図像の周りに広がる夢の場面かもしれない。

参考文献
鍋島直紹編『柿右衛門』金華堂書店、一九五七年
西田宏子他編『原色日本の美術23 −陶芸2−』小学館、一九八〇年
永竹威監修『柿右衛門の世界』朝日新聞社、一九八三年
矢部良明『日本陶磁大系二〇 柿右衛門』平凡社、一九八九年
栗原英男『伊万里第一輯』栗田美術館、一九九一年
小木一良『伊万里』里文出版、一九九三年
西田宏子他編『柿右衛門展』朝日新聞社、一九九三年
東京国立博物館編『中国の陶磁』東京国立博物館、一九九四年
三杉隆敏他編『陶磁器染付文様事典』柏書房、一九九八年



注1 鍋島直紹『柿右衛門』金華堂、一九五七年、三五頁
注2 栗田美術館を創設した栗田英男氏は「初代柿右衛門は、喜惣右衛門と称しその前身は、鍋島忠直(二代藩主鍋島光茂の父)に仕えた士分で、主君忠直が逝去したのでこれを機に釜焼に転向したことは、信頼できる『皿山代官旧記覚書』によって明白であるので、私は柿右衛門の赤絵創始説や名工説を否定するものである。」とし、一般的に言われている今泉家に現存する『覚』文書による説を否定している。
栗原英男『伊万里第一輯』栗田美術館、一九九一年、一四頁
注3 有田町教育委員会編『赤絵町 ―佐賀県西松浦郡有田町一六〇四番地の調査―』有田町教育委員会発行、一九九〇年
注4 矢部良明『日本陶磁大系二〇 柿右衛門』平凡社、一九八九年、九〇頁
注5 拙論『茶の湯と日本人の自然観』神奈川歯科大学基礎科学論集一七、一九九九年、一二頁
注6 拙書『茶の湯とシンボル』南窓社、一九九八年、二七頁
注7 拙論『茶の湯と日本人の自然観』神奈川歯科大学基礎科学論集一七、一九九九年、一〇頁
注8 拙書『茶の湯とシンボル』南窓社、一九九八年、各章